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論文

 当事務所東京オフィス共同代表・ヘンリー幸田は、国際知的財産法およびビジネス法務を中心に長年の経験を有しており、創価大学法科大学院においては教授としてアメリカ法及び知的財産法の教鞭をとっております。ヘンリー幸田の執筆した150を超える論文の中から代表的なものの一部をご紹介します。

米国特許訴訟 最新事情 パテント・トロール、テキサス州東地区裁判所、そして陪審審理(ヘンリー幸田:月刊ローヤーズ誌(ILS出版)2007年12号に掲載した論文を加筆修正したものである









1.イントロダクション


   低迷する経済状態にかかわらず、米国における知財訴訟の活気は衰えない。第1表は、1994年―2007年の間の知財をめぐる訴訟の年度別件数を整理したものである。

第1表 知財訴訟件数(連邦地方裁判所:1994−2007年)


   米国知財訴訟の件数に関しては、第1表に示されるとおり、著作権、商標、特許の順で多い。だが訴訟規模から見るとき、特許をめぐる係争が他の種類の係争を圧倒する。


   特許に関する件数の動きを見ると、1994年に1,617件であった特許に関する提訴件数は、2007年には、2,896件と約80%増加した。2000年代においては、年間3,000件弱で安定した状態が続いている。

   日本企業(米国現地法人を含む)の関連する事件数に関する正確な統計は不明であるが、約10%以上、つまり300件を下らないものと推定される。その数は増えることはあっても、減ることはないものと予想される。従って、米国特許訴訟に関する実務能力を磨くことは、日本企業にとって、きわめて重要な課題になるものと思われる。
   米国特許訴訟に関連し、特に日本企業にとって懸案となっている論点が3つある。

   第一に、巧妙な訴訟戦略を駆使し、巨額の収益を上げるパテント・トロールへの対策、第二に、極端なプロ・パテント傾向に固執するテキサス州東地区裁判所における実務傾向、そして第三に、陪審審理における勝訴のポイントである。
   本稿は、これらの論点に関し、最新の企業動向および判例を分析し、ポイントを実務的に整理することを目的とする。




2.パテント・トロール対策
(a) 背景
   「パテント・トロール」と呼ばれる知能集団の存在が、米国知財社会の中で初めて認知されたのは、1999年のことである。


   発端となったのは、テック・サーチ社がインテル社を被告として提訴した特許侵害訴訟における、インテル副法務部長であったピーター・デトキン氏による発言であろう。1兆円を超える損害賠償を要求する小さな知能集団の行動は、インテルにとって、不気味な存在に見えたことであろう。デトキン氏は、これをスカンジナビア地方に中世から伝えられる洞窟に潜む異形の怪物の伝説に例えて、「特許の怪物」という意味で、「パテント・トロール」と命名した。


   実はその背景には、「パテント・トロール」の前に、「パテント・エクストーショニスト」(Patent Extortionist:特許の強奪者)と呼び、名誉毀損で提訴された事件が隠されている。デトキン氏としては、譲歩の末の命名であったと推測される。


   2000年には、大人気の小型通信機器「ブラック・ベリー」を製造販売するRIM社がカナダのトロール、NTP社との5年間の法廷闘争の末に、6億1千2百万ドル(約550億円)という破格の金額による和解が話題を集めた。


   2008年には、Medtronic社がトロールに対し、5億5千万ドル(約500億円)での和解に応じた。対象となったのは、トロールが5万ドルで倒産の危機にあった某小企業から入手した特許である。投資としてみれば、何と1万倍のリターンである。


   さらに背景にこだわれば、「パテント・トロール」の前には、上述の「パテント・エクトーショニスト(Patent Extortionist:特許の強奪者)の他、「パテント・パイレーツ」(Patent Pirates:特許の海賊)、「パテント・パラサイツ」(Patent Parasites:特許の寄生虫)等、様々な名称が用いられた経緯がある。これらは明白な蔑称と見られ、数々の名誉毀損訴訟を招いた。


   これらの侮蔑的とも思われる名称と比較すれば、「パテント・トロール」は相対的に適切な用語として知財社会に定着したように思われる。現にテック・サーチ社の代理人を勤めたレイモンド・ナイロ(Raymond Niro)弁護士は、彼自身、パテント・トロールの第一号であることを自認している。事実、これまでに扱った事件の数、実績、知名度から見て、「パテント・トロール」の象徴的な存在と考えられる。


   彼の経歴を辿ると、興味深い事実に行き当たる。かつてバーコードを中心とする強力なパテント・ポートフォリオを有する個人発明家として日米の企業に恐れられたジェローム・レメルソン氏(Jerome Lemelson)の代理人として活躍したジェラルド・ホージャー(Gerald Hosier)弁護士とナイロ弁護士は、1970年代に若手弁護士として、パートナーの関係にあった。当時から小企業を代理する成功報酬型の実務に徹していたが、1983年にパートナーとしての関係は解消された。だがこの頃から蓄積された経験は、その後の彼らの法律家としての活動の原点となっているように思われる。


   わたし自身、1970年代から日本企業の代理人として、ホージャー弁護士と対決しており、良きライバルとして一目置いている。

(b)パテント・トロールの特質
   上記のごとく、「パテント・トロール」とは、「特許の怪物」を意味する用語と解される。これを正確に定義することは容易ではないが、通常の認識に従えば、次の4つの特徴を備えた集団と理解される。
   (1) 自ら開発した発明ではなく、他社の所有する特許を入手する。多く は破産の危機に瀕した企業の所有する特許権を低価格で入手する。オークシ ョンを活用する場合も少なくない。
   (2) 自ら特許発明を実施する意思・能力・施設を持つことなく、実施する企業に対し警告を発し、あるいは提訴することにより、高額の損害賠償・和解金を要求する。
   (3) 組織内に、有益な休眠特許をかぎ分ける能力を持った技術者、係争・交渉経験豊かな弁護士、そして損害賠償の算定に精通した公認会計士(CPA)等のプロを置く。
   (4) 自ら実施しないため、相手方企業としては、自社の保有する特許権を根拠とする反訴、あるいはクロス・ライセンスによる交渉の余地がない。

   初期のトロールによる巨額の収益実績は、金融・投資業界の注目を集め、新たな組織が次々に誕生した。象徴的な組織は、アカシア・リサーチ社であろう。6名の役員は、全員金融業界の出身である。アカシアに代表される新種のトロールは、上記4つの特徴に加えて、さらにもう一つの特徴を備える。


   (5) 投資を効果的に募集する上での投資専門家の他、相手企業の弱点を 攻撃し、早期に和解を実現する上での心理作戦に通じた心理学のプロをグ ループ内に置く。

(c) パテント・トロールによる訴訟戦略としてのビジネス・モデル
   急増するトロールは、それぞれの特徴を生かして、様々な交渉・訴訟戦略を展開する。提訴型と交渉型、有能と無能、経験豊富と未経験・・・トロールの質と能力により、彼らの戦略は、相当異なる。


   代表的な戦略として、アカシア・グループがしばしば用いるビジネス・モデルは、基本的に次の7つのステップから構成されると思われる。


   (1) 無数の休眠特許の中から有望な特許を低価格で買い集め、
   (2) カテゴリー別にパテント・ポートフォリオを分類し、
   (3) ポートフォリオごとに子会社を設立し、
   (4) 子会社ごとに目標額を設定した上で、投資家を募り、
   (5) 標的となる企業(和解に応じやすい)を選別し、
   (6) 有利な管轄地(テキサス州東地区、ウィスコンシン州西部等)において 提訴し、
   (7) 被告企業に迷いの出るタイミングを予測し、早期の和解を提唱する。

   アカシア社の子会社としては、Information Technology Innovation、Acacia Media Technologies Corp.、Hospital Systems、Diagnostic Systems Corp.、Performance Pricing, Inc. 等が知られている。


   またアカシア・グループによる知財戦略の成功は、さらに多数のトロールの誕生を促した。現時点で、その数は200社を下らないと推測される。代表的な例を挙げれば、IPAT(Information and Authentication of Texas) 社、フェニックス・ソリューション (Phoenix Solution) 、フリスキット (Friskit) 、ポラリス (Polaris IP) 等が提訴実績で知られている。

(d) トロールへの対応
   これらの特徴を備えるパテント・トロールと接点を持った場合、日本企業としては、いかに対応すべきであろうか?


   これまでの代表的な事例を見る限りにおいて、次のような点が、パテント・トロールに対応する上での基本的なポイントになるであろう。


   (1) トロール組織の実体を冷静に分析する
   端的に言えば、パテント・トロールと見られる組織は急増しており、所有する特許権の量と質、および担当弁護士等の実績・能力に関し、千差万別である。特に、過去において実績のあるトロール(あるいは弁護士)は、一面、交渉・提訴に関し、一定のパターン(ビジネス・モデルと見ることもできる)に従って行動する傾向が強い。このパターンを知ることにより、彼らの行動予測が可能となる。初期の段階において、これらの情報を正確に分析することは、基本的な対応戦略を組む上で、必須の事項である。


   (2) トロールが意図する交渉・提訴に関する戦略を正確に予測する
   トロールは、通常特定のプロジェクトをスタートするに当たり、複数の企業を相手に最も効率的と見られるステップを予定に組み込んだ戦略をとる。典型的には、複数の企業を三つのグループに分類する。まず、早期の和解に応じ易い企業を選定し、比較的低率のローヤリティーまたは低額の一時金による和解を図る。トロールにとっては、当該プロジェクトにおける軍資金の調達に相当する。次に比較的戦い易い(不慣れ)企業を選定し提訴する。攻撃的な訴訟戦略を展開することにより、早期の和解、ないし判決を求める。それらの実績(和解あるいは勝訴)に基づき、大きな目標(高額損害賠償)である企業に対決を迫る。
   特許権の内容、業種、社会的情勢等の要因により、多少の修正は当然であるが、上記のごときプロセスに基づく戦略を組むのが通常である。これに対し、警告を受けた企業は、自社がトロールにとってどの種類と評価されているのか、冷静に予測すべきであろう。自社の置かれた立場を正確に認識しない限り、対応策は的外れになりかねない。
   また状況により、まったく逆のステップをとるトロールもある。つまり、当初から最強の企業に挑むことによって、業界全体に強いメッセージを伝える戦略である。


   (3) 自社としての最善の解決策(目標)を設定する
   典型的には、早期決着、徹底抗戦、あるいは遅延策が考えられる。それらは、それぞれ長短があり、具体的状況に応じて最善の策を選択しなければならない。例えば、早期決着は、比較的低額での解決が可能であるのに対し、イージィーターゲット(カモ)との評判を招くリスクを含む。徹底抗戦に関しては、勝訴により支払いを完全に拒否できるのに加え、他のトロールに対し強敵とのメッセージを送ることが可能だが、敗訴の場合は多額の賠償責任(場合により差し止め)のリスクを負う。交渉を継続する遅延策は、他社の動向を観察しつつ冷静な決着を可能とする反面、百戦練磨のトロールを相手の長期交渉は、社内にそれに耐える人材を確保しなければならない。


   (4) トロールの弱点を探索する
   通常特許権侵害の攻撃に対する防御は、まず非侵害、そして特許権無効の抗弁が中心となる。だがトロールの側から見た場合、非侵害の抗弁は深刻な反撃とはならない。非侵害の抗弁は、それが完璧な理由でない限り灰色であり、企業側にとってのリスクは残る。また、仮に非侵害の抗弁が認められたとしても第三者との関係においては、トロール側の権利は残り、トロールにとってのリスクは小さい。


   トロール側が最も恐れるのは、特許権無効の反撃である。権利が無効化された場合、第三者との関係においても収入源が断ち切られる。また無効化を争って、再審査あるいは確認訴訟が始まった場合、第三者はその結果を待つために、交渉は中断される場合が多い。トロール側にとっては、きわめて深刻な状況に陥ることになる。


   いずれにしても、トロールによる攻撃に対しては、冷静に対応することが基本である。逆に冷静を失うとき、それはトロールの思う壺である。

(e) トロールに対する具体的対策
   次に、トロール対策として具体的な戦略の実例を整理する。
   (1)パテント・ウオッチング(Paent Watching)
   特許はすべて公開が原則である。自社製品に関連する特許権の動向については、恒常的に調査することが薦められる。特に米国特許に関しては、Reissue(再発行),Reexamination(再審査)の対象とされた特許権は、権利行使の可能性が高いこともあり要注意である。パテント・ウオッチングは、最新技術情報源としても活用可能である。


   (2) パテント・プール(Patent Pool)
   パテント・ウオッチングを複数企業が協力し共同体で管理することにより、トロールの介入を防止することが可能である。多数のパテントを複数の企業をメンバーとする共同体を介して共有することによるデファクト・スタンダードの構築は、その発展形態と考えることもできる。


   (3) 確認訴訟(Declaratory Judgment)
   トロールは、常に提訴を脅しの手段として用いるが、実は提訴は時間と経費に関し好ましい展開ではない。特にプロジェクトの初期においては、警告した相手方からの確認訴訟(逆提訴)は、訴訟管轄地の選定および権利無効とされた場合のリスクが多大である。その結果、極端な低額での和解が可能となる場合が少なくない。特に特許権無効を求める確認訴訟が継続している限り、他社はトロール側との交渉を中断し、待機する場合が多く、早期の投資効率を求めるトロールにとっては好ましくない展開になりがちである。


   (4) 再審査(Re−eaxamination)
   先の確認訴訟と同様、トロール側にとって、特許権の無効は最も恐れる状況である。もし強力な公知資料が存在する場合は、再審査を慎重に考慮すべきであろう。再審査は手続費用が安価である点で確認訴訟より有利である反面、無効化の成功率において、連邦地方裁判所より不利な実情を認識しなければならない。


   (5) 特許保険(Patent Insurance)知財をめぐる訴訟の増加に伴い、侵害訴訟に関する保険が利用されるケースが見られ始めた。ただし特許保険については、基本的に損害賠償額と弁護士費用を含めた場合と、弁護士費用に限定される場合に分かれる。具体的条件については、保険会社により大幅にことなるの慎重に評価する必要がある。

   最後に公正を期す上で、パテント・トロール側からの主張にも触れておきたい。「パテント・トロール」は、特許権を行使する小型企業に対する差別用語であり、大企業側から見た都合の良い用語と見る実務家も少なくない。彼らは指摘する。パテント・トロールの犠牲者として描かれるインテル社あるいはIBM社にしても、自らの特許の行使する場合においては、規模の優越性を利用し、しばしば過激な訴訟戦略を駆使する。また自らの特許権を実施しない点においては、諸大学組織も広義のパテント・トロールに近い存在と解される。


   とは言うものの現状において、パテント・トロールに対する社会的評価は総体的に厳しい。パテント・トロールの一つと見られるMercExchange社がe−Bay社に挑んだ特許訴訟において、侵害認定で勝訴を得たものの、差し止め請求において従来の判例に見られぬ制限を受けた最高裁判決は、その顕在化と見ることもできるであろう。


   端的に総括するならば、通常の大企業、小企業(パテント・トロールを含む)、あるいは個人を問わず、正当な権利行使において、根拠のない差別は決して許されるべきではあるまい。だが時に無謀とも思われる強引な権利行使に関しては、特許法の目的である産業の発展と相容れない限りにおいて制限を受けるのは、当然の帰結と言うべきであろう。
   次に、パテント・トロールが好んで提訴の場として選ぶテキサス州東地区裁判所の動向に目を向けてみよう。

3.テキサス州東地区裁判所の最新実務

(a) 背景
   米国50州の中で、アラスカに次いで面積の大きいテキサス州は、平らで広大な土地に、延々と荒野と牧場と綿畑が続く。テキサス州第2の都会ダラスは、州の東北地方に位置する大都市である。ケネディー大統領が不慮の死を遂げた地としても知られる。


   そのダラスからさらに東に向かって4時間、同じ景色の連続で運転に飽きる頃、静かで小さな町にたどりつく。静かというより、一見眠ったような町並みである。市とは言っても、小さな農村と言った方が似合いそうな佇まいというべきであろう。ここが今、全米の特許実務家の注目を集めるマーシャル市である。


マーシャル市中心街

 

   この小さな町にたった一箇所、活気に満ちた地区がある。それは、連邦地方裁判所のテキサス州東地区マーシャル分署を中心とする一角である。この裁判所に出入りする弁護士、企業法務部員、証人等で、ホテル、レストラン、コンビニと、この地区だけは、活気が絶えない。


   最近の例を概観するだけでも、大型の特許訴訟が多数提訴されている。代表的な事件を挙げれば、次のとおりである。
   * ノースイースタン大学対グーグル(データ探索方法)
   * オプティ対AMD(キャッシュ処理方法)
   * シスコ・システム対ホアウェイ(ソフトウエア)
   * モザイド対ハイニックス(DRAM)
   * パラレル・プロセッシング対ソニー(プレステ3)
   * シャープ対サムスン(LCD)

 

   テキサス州東地区における連邦訴訟で特徴的なことは、先端技術を対象とする特許侵害訴訟が多く、当事者は、米国企業に限らず、日本・中国・韓国・カナダ等幅広く、国際的な大型紛争が中心である。特に日本企業が当事者となる比率は極めて高い。当初は、被告としての関わりが多かったが、最近は、原告となる例も少なくない。
第2表を見ていただきたい。

 

第2表 管轄別特許訴訟件数(2000−2008年)

順位
ジュンイ
裁判所
サイバンショ
総件数
ソウケンスウ
2008
ネン
1
カリフォルニア州中部地区
2,520
228
2
カリフォルニア州北地区
1,550
230
3
イリノイ州北地区   
1,356
167
4
テキサス州東地区
1,351
307
5
デラウェア州
1,207
159
6
ニュージャージー州
1,127
174
7
ニューヨーク州南地区
1,091
119


   2000年代における総提訴件数は、カリフォルニア州中部地区(ロサンゼルス市中心)が断然多い。州総生産において全米最大だから、訴訟件数が多いのは当然とも思われる。


   だが第5位に見えるのは、テキサス州東地区である。しかも、2008年においては、307件と他の地区を引き離し、第1位である。この地区は、2000年までは、年間30件に満たないマイナーな地区と見られていた。これは異常な事態と見なければなるまい。


   なぜこんな現象が起きたのだろうか?


   訴訟件数が激増した理由は明白である。80%に及ぶ驚異的な原告勝訴率、そしてこれまで外国企業が被告となる事件において、特許権を無効とした例がない等、プロパテント政策を具現化した代表的管轄としての認識が急速に広まった点に集約されるであろう。


   米国の偉大な田舎と呼ばれるテキサス州に、何ゆえ過激とも思われるプロパテント政策が根付いたのであろうか?


   テキサス州は、米国の他の州と異なり、メキシコとの関係で、少々複雑な歴史を有する。ここは、かつてムエバ・エスパーニャ(New Spain)と呼ばれた地区である。メキシコがスペインから独立した1821年後は、メキシコ領テキサスとして、開発が進められた。


   その後、入植した米国系入植者たちによる反乱を機に、1836年テキサス共和国が宣言された。だが反乱軍が守る要塞は、圧倒的なメキシコ軍の前に全滅した。アラモの砦である。砦は全滅したが、米国系反乱軍による運動は、「リメンバー・アラモ」を合言葉にさらに拡大していった。こうして1845年、テキサスは第28番目の州として米国合衆国に併合された。

   さらに1861年に勃発した南北戦争においては、米国南部連合の雄として独自の立場と主張を貫き通した。そして土地に密着した集団としての長く激しい体験は、テキサス住民(彼らは、自らをテキサス人と呼ぶ)の間に強い信念を植えつけたようである。近年の権利者に極端に有利とも思われる判決傾向を分析すれば、テキサス人の間に定着した独特の伝統的価値基準が近年における訴訟実務において顕在化したものと思われる。


   以下において、テキサス州、特にマーシャル市を中心とする東地区における訴訟実務の特質を分析し、日本企業の立場から見た効果的対応方法を、実体験に基づいて整理する。

(b) テキサス州東地区マーシャル市について
   テキサス州には、ヒューストンそしてダラスと二つの大都会が並立する。東部を支配するダラスからさらに東に向かって250キロ、マーシャル市は、ルイジアナ州との州境に近い人口約2万5千人の小さな町である。むしろ村と呼ぶ方がふさわしいとも思われる。


   町の中心には、ダウンタウンと呼ぶのをためらうほどに小さな商店が散在する。その一角に、明るいレンガ造りのビルがある。この小さな町の小さな建物が今、米国知的財産権の世界の注目を集めている。テキサス州東地区連邦地方裁判所、マーシャル分署である。

 

連邦地方裁判所 マーシャル分署

 

   マーシャル市は、米国南部によく見られる平凡な農村の一つで、目立つ特徴は何もない。ところが最近、特許侵害訴訟が激増し、米国知財活動の重要拠点になりつつある。一体、何が起きたのだろうか?


   テキサス州東部地区は、18世紀から続く綿の名産地。住民の大半は、果てしなく続く綿畑で農作業に従事した。民族的には、白人とメキシコ系が混在するが、その構成は代々変わることなく、土地との繋がりは伝統に守られて強固であった。


   時は流れて19世紀後半、南北戦争が勃発した。住民たちは何の疑問もなく、南部連合軍組織に従った。だが激しい戦闘の末、南軍は破れた。敗戦の傷跡は徐々に回復し、近代化の波が押し寄せ始めた19世紀の末、マーシャル市にも鉄道網が延びてきた。


   広陵たる綿畑の中で鉄道工事が始まったとき、それまでには見られなかった人々が移り住んできた。仕事を求める弁護士たちである。鉄道工事には、人身事故が付き物、事故に関する係争を専門とする弁護士にとっては、新たな市場である。こうして、小さな町の割には、弁護士の数が多い社会構造が創られた。


   20世紀に入り、綿産業が低迷期を迎えるとともに、陶器の技術が普及した。豊かな農地は、焼き物用の土に適していたのであろう。この頃まで、マーシャルは、比較的のどかで静かな南部の田舎町であった。人々は、飽きることなく南北戦争を懐かしみ、祖父・曽祖父等が巻き込まれた数々の戦闘の跡を語り継いだ。現在でも、土地の人々が集まる折には、南北戦争における祖先の様々なエピソードが熱い話題となる。このような生活習慣が長期化するにつれ、保守的体質が人々の心の中に浸み込んでいったのは、不思議なことではあるまい。


   彼らのメンタリティーに従えば、綿畑(不動産)が唯一の財産である。その財産に対する不法侵入者に対し、政府が保護を与えてくれる。特許権も不動産と同様、政府によって認定された財産権である。これを犯す者は、不法侵入者と同じだ。こうして特許権者に同情が寄せられる。


   1980年代後半、マーシャル市に小さな異変が訪れた。テキサス州ダラス市に拠点を置くテキサス・インストルメンツ社(TI)による特許侵害訴訟の提起である。TIは、いわゆるキルビー特許を中核とする半導体技術を囲い込んだ強力なパテント・ポートフォリオを武器に、複数の企業に対し特許戦争を挑んだ。


   サムスン、ヒュンダイ、ソニー・・・TIによる特許戦略は、マーシャル地区連邦裁判所を巻き込み、スケールの大きな法廷闘争に発展した。マーシャル地区の住人は、突然嵐のごとく飛び込んできた知的財産権をめぐる争いに、陪審員としていやおうなく関わりを持ち始めることとなった。


   地域全般が極端な保守傾向に置かれた住民にとって、連邦政府(特許商標庁)によって権威付けられた特許権を侵すことは、許しがたい不徳な行為である。住民たちは、特許論争に対し、思うが侭に対応した。その結果、原告(特許権者)の勝訴率は、80%を超える驚異的な高率となった。特に、権利の有効性に関しては、昨年まで特許権無効の判決を得て勝訴を収めた被告は皆無である。


   マーシャル地区連邦裁判所による極端とも思われるプロパテント傾向は急速に評判となり、侵害行為に悩む特許権者たちが殺到した。マーシャル地区を中心とするテキサス州東地区における提訴件数は、1990年代、年間30件足らずであったが、2008年の統計では307件に達する。この提訴件数は、長年最大の提訴数を保ってきたカリフォルニア州中部地区(ロサンゼルス)を超え、全米第1位である。人口規模と経済規模を考慮すれば、地方の小都市におけるこの提訴件数は異様である。加えて前述のごとく、特許権者の勝訴率は80%に近い。


   こうしてマーシャルを中心とするテキサス州東地区連邦裁判所は、特許権者の天国、あるいはプロパテントの都と呼ばれるに至った。この地区の裁判所は、マーシャルに加えて、タイラー、シャーマン、テクサルカーナ、ラフキン、及びボーモントの各市に分署を置く。


   それでは、マーシャル地区連邦地方裁判所の特質をさらに具体的に分析してみよう。

(c) マーシャル地区連邦地方裁判所の特質
   マーシャル地区の裁判所による実務を考察するとき、特に興味を引くポイントが3つある。
   第一に、テキサス東部における住民の根強い保守傾向である。代々土地と強固に結びついた農民にとって、土地所有権を保証する連邦政府は、絶対的な信頼感に支えられた存在である。その連邦政府(特許商標庁)が慎重な審理を経て発行した特許権は、不動産のごとき財産権と同様、敬意に価する。


   陪審を構成するテキサス東部住民にとって、特許権に対し権利無効の挑戦を企てる被告(非権利者)の態度は、権威に対する非礼な暴挙として映るのではあるまいか?だから、権利無効で勝訴を得た被告は昨年まで存在しない。


   非侵害の抗弁についても、事情は基本的に変わらない。特許発明との相違を強調し、非侵害の理論によって被告を擁護する弁護士の弁論は、テキサス東部の住民にとって、狡猾な言い逃れとして響くのであろう。


   その結果が異様とも思われる原告勝訴率となったものと推察される。


   第二に、判事による徹底的なルール遵守の実務を挙げるべきであろう。連邦地方裁判所には、その地特有のローカル・ルールの適用権限が許される。マーシャル地区裁判所における特質は、極端とも思われるルール遵守方針である。誤解を避けるために言明すれば、厳格なのはルールの中身ではなく、ルールを適用する上での実務にある。


   特に期日、そして書面の分量、質問項目の数・・・ルール違反に対し宥恕の余地は皆無に近い。この極端な方針は、実務的に見るとき、被告にとって特に過酷な負担を強いることになる。何故ならば、原告側は提訴前からの準備が可能である。これに対し、被告側は通常、提訴された後に具体的に訴訟対策を開始する。この差は意外に大きい。特に期日の遵守に厳しいため、手続の進行は、他の裁判所地区と比較して遥かに早い。このため、準備が遅れがちな被告側の負担は、特に厳しくなる。


   極端とも思われるルール遵守の体制は、どのように築かれたのだろうか?鍵を握ると見られるのは、マーシャル地区裁判所の代表を務めるジョン・ウォード判事(T.John Ward)である。今年63才を迎えるウォード判事は、地元でビジネス・ローヤーとしての経歴を重ねた上、クリントン大統領の指名により、1999年9月判事に就任した。

 

ジョン・ウォード判事

 

   着任以来、裁判手続の開始に先立って、原告・被告側の弁護士に対し、ルールの遵守に関する誓約を求める。誓約に例外は許されない。制限を超えた文書量、そして証人に対する誘導尋問は、厳しい制裁の対象となる。中でも期限の遵守は絶対的である。その結果、マーシャル地区における地裁審理は、1年未満で決着を見るいわゆる「ロケット・ドケット」として注目を集め始めた。


   ウォード判事によるルール遵守を核とする訴訟モデルは、テキサス東部の他地区においても、急速に浸透した。結果的に、原告有利の実務が地域社会に形成されるところとなった。


   第三に、急増する特許訴訟による経済効果を無視することはできない。傑出した経済活動に欠ける地方の小都市にとって、大型の訴訟事件は、さまざま側面での経済効果を派生した。数多くの法律事務所が開設され、長期滞在する訴訟関係者が訪れ、それらにかかわる地元産業は、急速に潤い始めた。

(d) 日本企業としての戦略
    (i) 非権利者として
   テキサス州東地区における特許侵害訴訟において被告とされた場合、次の点を明確に認識すべきであろう。


   第一に、特許権無効を中心とする抗弁は、極めて困難である。その理由は、テキサス人のメンタリティーに従えば、連邦政府としての特許商標庁の認可した特許権に対しては、敬意を払うのが当然の理であり、これに戦いを挑むことには理屈以前の生理的な反感を覚えるようである。


   だが無効化の道がないわけではない。まず(1)議論の余地がないほどに近接した公知資料(単一の先行米国特許が好ましい)を入手した場合、そして(2)権利者の特許権取得手続において、特許商標庁を欺く不正行為(フロード)が判明した場合である。つまりテキサス人の正義感に訴える戦略が好ましいと思われる。


   第二に、被告が勝訴を得た判決における理由は、基本的に非侵害による抗弁である。ここでポイントとなるのは、クレームの範囲を認定するための、いわゆるマークマン・ヒアリングにおける戦略である。


   マークマン・ヒアリングは、地元テキサス人による陪審が関与する以前の手続ではあるが、裁判官自身テキサス人であることを忘れてはならない。つまり、他の地区における基準に基づく実務は、通用しないことを認識すべきであろう。このため自己に有利なクレーム定義に導くためには、工夫を要する。一例を挙げれば、すべての事項に関し有利な定義を求めず、重要な事項に絞り、非重要事項については、ある程度譲歩することにより目的を達成することが可能となる。


   第三に、サマリー・ジャッジメント(略式判決)の積極的活用である。先の公知資料又はマークマン・ヒアリングにおいて有利な材料が入手された場合には、陪審によるトライアルを待つより、サマリー・ジャッジメントを活用することにより、審理を短縮し、費用を節減し、さらに予測不能に近いテキサス人による陪審を回避することも可能となる。

 

    (ii) 権利者として
   近年の傾向としては、日本企業が原告として特許訴訟にかかわることも珍しくない。特に、中国・韓国・台湾企業との関係においては、権利者として侵害品対策のため、特許訴訟に関与する例が急増中である。


   当然ながら、極端なプロパテント政策を取るテキサス東地区への提訴は、権利者企業にとって、魅力のある管轄であろう。ここで留意すべきは次の点である。


   第一に、前述のごとく、権利者が敗訴した場合の基本的理由は、非侵害に基づく被告企業の抗弁が容認されたときである。総体的に見れば、被告の抗弁が容認される背景には、権利者による特許権取得における不正行為(フロード)ないしそれに近い行為が認定された場合が多く見られる。それを回避するためには、提訴前の準備作業として、ファイル・ヒストリーの詳細な検討が重要なポイントなるように思われる。仮に疑義ある場合は、再発行(Reissue)あるいは再審査(Re−examination)により、可能な限り自ら欠陥を修正しておくことが薦められる。


   第二に、権利者が有利となる一つの要素は、審理が迅速であり、かつ手続の延期が認められない点にある。権利者としては、提訴前の準備を整えておくことにより、この利点を強化することができる。このため、先のファイル・ヒストリーを含め、マークマン・ヒアリング、証人の準備、モック・トライアル(模擬トライアル)等、可能な限り、事前準備を進めておくべきであろう。


   第三に、上記のいずれの点に関しても、東地区特有の判断基準が存在する。極論すれば、各担当判事により差異が見られる。このため、これらの事情に精通した地元弁護士を訴訟チームに含めることが鍵とある。


   最後に、マーシャルを中心とするテキサス東部地区裁判所による実務の将来を予測してみよう。

 

(e) マーシャル地区連邦裁判所の将来
   特許権者たちにとって天国とも思われるマーシャル地区裁判所による実務は、非権利者たちにとっては地獄であろう。このため、この実務をめぐり、二つの相反する顕著な現象が浮かび上がってきた。


   第1に、急激な訴訟件数の上昇である。2008年における総件数は、307件に達した。その結果、すでにロケット・ドケットの評価は過去のものとなり、審理期間は約24ヶ月を越える状況であり、他地区と比較して、格別早期審理と呼ぶのは困難になりつつある。


   またこの地区の裁判官は、事件数が過重になっても、他地区に事件を移送することをためらう。従って、審理期間は、今後さらに長期化するものと予測される。その時、ルール遵守の方針は、早晩限界が訪れるもと思われる。


   その結果、極端な被告不利の実務は、ある程度解消されることになるであろう。


   第2に、極端なプロパテント政策に対する批判は、テキサス東部地区裁判所に限らず、全米的に浸透中である。この動きは、マーシャル地区を初めとするテキサス東部地区裁判所による偏った判決傾向に対する修正機能を果たすことになるものと予測される。


   具体的には、連邦高裁(CAFC)による判決の破棄・差し戻しである。現に、相当数の控訴事件が、CAFCによる審理継続中であり、結果的にテキサス東部地区裁判所による多くの判決が覆され、あるいは修正されるものと予測される。


   第3に、テキサス州東地区に対抗する管轄の出現である。最近、他州においても、プロ・パテントを指向する地区が出現した。例を挙げれば、ウィスコンシン州西地区、さらにデラウェア州も権利者有利の傾向が顕著である。特に、過去1年間に限れば、デラウェア州における陪審審理に関しては、総件数21件中、20件において、権利者が勝訴を収めている。従って、ここ数年の間、テキサス州東地区に極端に集中した傾向は、少しづつ緩和されて行くであろう。


   上記の考察をまとめれば、次のようになる。


   注目を集めたテキサス東部地区裁判所によるプロパテント傾向は、案件の急増による審理期間の長期化、及びCAFCによる修正機能により、実質的な方向転換を迫られるであろう。しかしながら、それでもマーシャル地区裁判所を中心とする基本的なプロパテント傾向は、地元住民、担当判事たちの保守性と地元産業に対する経済効果に支えられ、息長く根付くが、一極集中という現象は、緩和されるものと予測される。


   次に、トロールやテキサス州東地区裁判所に限られないが、米国特許訴訟において、確実に増加中の陪審審理の実態と対応について考えてみよう。

4.陪審訴訟における勝訴の条件

(a) 背景
   米国特許訴訟件数は、米国がプロ・パテント政策に転じた1980年代以来、毎年増加し続けてきている。またこれらの特許訴訟においては、陪審審理が適用される傾向が顕著である。


   今年の初めには、陪審審理によって、マイクロソフト社がデジタル音楽関連の特許権侵害に基づき、150億ドルにも上る損害賠償が認定されている。このような巨額の評決は稀であるとしても、米国の特許訴訟における陪審員は、他国では考えられない高額の損害賠償を認めることが珍しくない。従って米国で事業を展開する企業は、陪審審理に関する適切な対応方法を熟知しておくことが好ましい。


   中でも巨額の損害賠償をめぐる特許訴訟は、最先端技術の活用を競い合う企業間で起こることが多い。これらの訴訟においては、通常特許の所有権、侵害性、そして有効性を中心に争われる。


   周知のごとく、特許訴訟は得られるものも莫大であるが、リスクも大きい。いずれの当事者にとっても、特許訴訟における弁護士費用やその他の費用は、他のビジネス関連の訴訟と比較すると極めて高額である。最近の調査によれば、特許訴訟(地方裁判所)における訴訟費用は、平均で250万ドルから290万ドルにも上る。


   このため、米国における特許訴訟が持つ意味は非常に大きい。マイクロソフト社の件における評決は、米国の陪審員が膨大な金額の損害賠償を認定する権限を有していることを如実に示している。さらに、差止め請求が認定されれば、被告の事業は文字通り閉ざされてしまうことになる。


   もちろん、特許訴訟は容易ではない。特許訴訟は米国法の中でも複雑な分野に属するものであり、また、高度な先端技術に関するものであることが多い。このため他の種類の訴訟よりも結果の予想が困難を伴う。


   これら全てのリスクを別にすれば、特許訴訟は、大きな利益を期待することができるものである。莫大な損害賠償を獲得したり、競争相手を廃業に追い込むことにより、利益を増大させることができる米国特許侵害訴訟は、非常に魅力的なビジネス戦略になり得るのである。


   この戦略を有効に活用するためには、陪審審理における適切な対応方法を習得しておくことが前提となる。以下にそのポイントを整理する。
 
(b) 主張を単純化する
   米国の陪審員の役割は複雑なものではない。弁護士は、陪審員に事実に関する問題点を伝え、陪審員はそれらについて判断する。弁護士、そして証人の能力は、どのようにそれらの問題と判断基準を効果的に伝えるかという点にかかっている。鍵となるのは、論理の単純さにある。


   米国においては、陪審員は一般市民により構成され、技術や法に関する格別な知識を有していることは要求されていない。このため、単純、明快で、直接的であること、陪審員への対応は常にこれらの基本的な考え方に基づいていなければならない。陪審員と意思の疎通を図ることができ、陪審員が問題点を理解し、適切な判断を下す助けを提供することができることが弁護士の腕の見せどころである。


   具体的には、イラスト、模型、例え話等を用い、一般人にとって理解し易い形で論理を展開すべきである。陪審員が直ちに理解し、記憶に残るようなメッセージを伝えることが目標である。私の経験では、ビジュアル効果を活用することにより視覚に訴えることが最も有効と思われる。


現に、陪審員の判断においては、視覚による影響が80%を占めるとされている。
 
(c) 量より質を重視する
   陪審員はしばしば過剰な情報量に圧倒されてしまう場合がある。特許訴訟は特に複雑な問題点を含む場合が多い。それ故、逆に弁護士は、陪審員が判断するのに必要以上の情報を与えることを避けなくてはならない。陪審員が理解を強いられることが少なければ少ないほど、陪審員を混乱させる恐れも減少する。


   特に避けなければならないのは、陪審員が理解不能なまま複雑な論理を振り回すことである。陪審員が一旦不必要な情報を過大に与えられてしまうとき、適切に判断は不能となり、感情に任せた予期せぬ結果になりかねない。


   例えば、先行技術に基づく特許無効が最大の争点とされている場合について考えてみよう。無効を主張する被告は、通常理論的に無効の抗弁の根拠となり得る資料をできる限り多数提示する誘惑にかられるものである。先行技術を探すのに莫大な時間を費やし、そのような努力をしたことに自ら酔ってしまっている弁護士は、自らの努力の成果を示し、全ての先行技術例を提出しようとしがちである。これは結果的に大きな過ちになるであろう。


   弁護士は、陪審員に示す最良の証拠を戦略的に選択すべきである。仮にあなたが特許を無効資料としての先行技術例を7件持っていると仮定しよう。陪審員の理解を得る最良の戦略とは、これらの7つの先行技術例の中から、最も強力な資料1件に焦点を合わせるべきである。


   もちろん、1件では不十分な場合も少なくあるまい。その場合には、最小限、つまり追加資料は、1件ないし2件に絞ぼり込み、焦点がぼやけないように配慮すべきである。


   しつこいようだが、「無効化に役にたつかもしれない」先行技術例を多数挙げるのは、当事者側の自己満足に終わるのが普通である。大半の陪審員は、情報量に圧倒され、不消化あるいは混乱に陥るであろう。陪審は、単純、明快な主張を好む。理解できない証拠は、証明としての意味を持たない。つまり量より質を重視すべきである。

 

(d) 事実に沿った理解し易いストーリーを構築する
   訴訟の勝敗は、紛争における事実関係に法を適用することによって決定される。従って弁護士は、事実関係を、陪審員が理解し共感できるような分かりやすいストーリーを描くように整理すべきである。素晴らしい勝訴の陰には常に、共感できるストーリーがあることを知るべきである。


   特許権の帰属、侵害性、有効性が争われている事案において、弁護士及び証人は、陪審員に対して興味深いストーリーを示すよう努力すべきである。陪審員は真実を求めており、公正な結果を出したいと願っているのである。もちろん虚偽は絶対に避けなければならない。だが事実に即する限り、説得力あるストーリーの構成は、陪審員を「正しい」方向に導くための鍵である。つまり、陪審員は、「なるほど!」と納得できるストリーを求めているのである。


   また同時に、弁護士は常に礼儀正しくあるべきである。例えば、特許訴訟における原告が、侵害者たる相手方を感情的に誹謗・中傷するのは逆効果である。むしろ、事実を分かりやすく整理し、感情は陪審の判断に委ねた方が効果的である。


   特許訴訟における陪審トライアルは、数週間にも及ぶ長期の論戦である。従って、感情に任せた議論は、一時的な効果があるかもしれないが、長引けば、感情を抑えた事実の方が説得力を持つ。よく練られた、陪審員の心に響くようなストーリーの構成が勝敗を左右する。

 

(e) 証人を慎重に準備をする
   証人は陪審審理において重要な事項である。そこには二つのポイントがある。第一に、適切な証人の選定、そして第二に、証人に十分な準備を与えることである。


   適切な証人の選定については、当然ながら紛争に関する事実についての知識が優先する。しかしながら選択の余地のある場合は、コミュニケーション能力に優れた人物を見極めることが肝心である。時に英語の能力のみで比較される場合が多く見られるが、最も重要なのは、陪審を説得する能力である。通訳を介したとしても、最終的なコミュニケーション能力に優れている人物を選定すべきである。


   ここで一つ注意すべきことは、米国人のコミュニケーションに関する特徴である。彼らは一般的に、日本人と比較して率直であり、直接的な応答を好む傾向が強い。従って、伝統的な日本の謙譲の美徳(例えば、沈黙は金、あるいは謙遜)はときに思わぬ誤解を招くことがある。また、否定的な発言は避け、できる限り肯定的な表現を試みるべきであろう。例えば、次のような対話を想定してみよう。


   (質問) あなたは英語が分かりますか?
   (答A) あまり分かりません。
   (答B) 少し分かります。


   あくまでも一般論だが、通常の米国人は、否定形での答Aより肯定形での答Bを好む。


   次に、証人に対する準備を考えてみよう。証人は単純明快に証言すべきである。特に特許の要点となる技術に関する証言については、表現方法に十分な準備を要する。すなわち、陪審員にとって容易に理解できるような説明方法を練っておかなければならない。不必要に複雑な内容や専門用語、または技術上の一般人には分からないような言葉を避けるように訓練されていなければならない。


   効果的な証言を得るためには、予想される質問に関し、単に知識を陳述するだけでは不十分である。平均的な陪審員のレベルで十分に理解できるように、用語、順序、速度等さまざまな角度から検討し、練り直す必要がある。特に、通訳を介す場合は、通訳を含めた準備を欠くことができない。通訳の不出来のために思わぬ結果を招いた事件は数限りない。


   同様に、立ち居振る舞いも大切である。より感じが良く、より誠実そうであればあるほど信頼性も増す。また証人は自らを制御しなければならない。落ち着いた証人は、陪審員により良く理解されるであろう。落ち着きの無い証人は事実をありのままに話していないような印象を与える。誠実で都合の悪いことも認める証人は、質問を避けようとしたり、難しい質問をされると苛立ったりするような証人に比べて、一般的により好まれ、信頼される。

(f) モック・トライアル(模擬審理)を活用する
   特許訴訟のトライアルの準備に際し、弁護士は少なくとも一回は模擬トライアルを本番の前に行うべきである。模擬トライアルの目的は案件のいくつかの点について実際にトライアルに入る前にテストしておくことにある。弁護士は模擬陪審に対して、主張や証人、陪審員への説示、または話すべきテーマを試すべく準備を進めるべきである。これにより案件における弱みと強みを明らかにすることができる。


   さらに、模擬トライアルによって予想外のことが起こる可能性を最低限にすることができる。これは特許訴訟の規模の大きさと複雑さを考慮すると特に大切なことである。


   模擬トライアルは、実際のトライアルと同じ裁判地において行われるのが好ましい。模擬トライアルは、裁判地における陪審員候補者の市民層がどのような反応を示すのかということを考慮しつつ行われるべきだからである。模擬トライアルが、本番のトライアルが行われる地と文化的に異なる場所で行われたのでは、実際の陪審員がどのような反応を示すのかということを正確に把握する上で問題が残る。


   もっとも、人口構成が陪審員の認識や感覚に与える影響は限定的なものである。人口構成は、陪審員の経験や考え方ほどその決定を予測させるものではない。従って、次に述べるように、陪審員選任手続が重要なポイントとなってくるのである。

 

(g) 陪審員を慎重に選定する
   米国のトライアルでは、予備尋問手続を通じて、不適切と見られる陪審候補者を排除することが可能である。先入観や悪意を持った候補者を回避することは、当然のことではあるが、訴訟において大きな利点となる。


   陪審選任手続の目的は、必ずしも最も好ましい陪審員を選任することにあるとは限らない。むしろ、その事案にとって最も好ましくないであろう陪審員を排除することにあると考えるべきである。特定の陪審員が弁護士の主張に対して敵対的である場合、審理の進行は困難を極める。


   陪審員を効果的に説得するためには別の方法を考慮することも考えられる。一つの方法としては、同様の事案を扱ったことがある経験豊富な地元の弁護士を補佐的に活用ことである。このような弁護士は、管轄地における陪審員の認識や感覚傾向をより正確に理解している場合が多い。


   さらに別の方法として、陪審のコンサルティング・サービスを依頼するという方法もある。このようなサービスは、特許訴訟における効果的な準備や陪審団について貴重な情報を提供することができ、実務上、規模の大きい訴訟においては欠かせないものとなっている。


   陪審手続は双方通行の道路のようなものである。聞き手のことをよく理解している弁護士は、その聞き手が事案を理解できるようにする能力にも長けている。陪審員に聞きたがっていることを聞かせることによって、弁護士は有利な評決という形での肯定的な反応を期待できるのである。


   最近の米国特許訴訟においては、当事者が裁判官審理(Bench Trial)に代えて陪審審理(Jury Trial)を求める傾向が顕著である。陪審員の法や技術に対する理解度、事実に対する関心、そして正義に関する判断基準は、法の専門家としての裁判官とは明らかに異なる場合が多い。このため、訴訟当事者および弁護士は、陪審審理における特質を十分に理解しておくことが陪審による特許訴訟を効果的に進める上で、最も重要な課題となる。


   上記にまとめたポイントを熟慮し理解することによって、勝訴評決を得られる確率は確実に高まるであろう。

5.まとめ
   現在米国特許訴訟に関し、日本企業にとって最も重要と思われる3つの論点(パテント・トロール、テキサス州東地区裁判所、そして陪審審理)に関し、最新の実務事情について重要なポイントを整理した。紛争を回避すべく最大の努力を厭わない日本の伝統は尊重すべきだが、時に見解の対立を公正な場(裁判所)において解決する必要に迫られることも避けがたい。細部の事情についてすべて網羅することは不可能だが、実務におけるポイントをご理解いただければ幸いである。


   なお、本稿の一部は、月刊ローヤーズ誌(ILS出版)2007年12月号に掲載した論文を加筆修正したものである。
(完)

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