執筆者:ライアン・ゴールドスティン
日本の裁判員制度が導入されて一年あまりが過ぎた。懸念されていた「裁判の滞留」は解消に向かいつつあるという認識を最高検が示すなど、導入以前からの不安は払しょくされた結果となった。
中でも興味深いのは、法廷の変化である。
まずは、難解な言葉が減り、パワーポイントや分かりやすい資料の配布など、一般市民が、裁かれている内容をしっかりと理解できるように工夫されたことである。
ある地検では、分かりやすい立証を目指し、裁判員裁判のリハーサルを重ねたそうだ。読み上げるだけの冒頭陳述を改め、裁判員向けに図表を用意するなど視覚に訴える戦略も練り上げたという。
そして、もうひとつは市民が加わったことで、刑事裁判が大きく変化し市民感覚の反映されたこと。被告の人柄や生い立ちなどにも踏み込んで、裁判員の心を揺さぶる質問も飛び出しているという。裁判員裁判以外の裁判では、起訴内容の確認が中心となると言うから、その変化は著しいと言えるだろう。
ところで、日本の裁判員制度は重大事件の審理だけに用いられるのに対し、アメリカの陪審員制度では、一般人が重大事件以外の場面でも、有罪、無罪の判断に参加する。私のような訴訟弁護士にとって、彼らの心を自身の依頼人側に傾けることは、非常に重要な仕事の一つである。そこで今回は、裁判の前に行う「模擬裁判」について話してみたい。
「模擬裁判(Mock Trial)」とは、実際のトライアルを有利に進めるために、どのように陪審員に訴えるか、理論の構築や、文言の精査などを目的に行われるリハーサルだと考えてほしい。弁護士がいくら有益な証拠や完璧な理論を構築していたとしても、日本の裁判員裁判と同様に、実際に判断する陪審員の心をつかむことができなければ、トライアルの場面では何の役にも立たない。
しかも、アメリカは広い。トライアルがどの州のどの場所で行われるかで、陪審員たちの価値観は大きく違う。
たとえば、テキサス州で特許権に関するトライアルを行えば原告側に有利という評判が広がり、テキサス州での特許に関する訴訟件数はここ数年増えている。
テキサスでは農業に従事する人が多いせいか、陪審員に特許権とは何かを説明する時には、農作業に例えて特許権を解説すると、バックグラウンドと重なって具体的に理解しやすいようだ。
ほかにも、ニューヨークでは話し方も仕事のスピードも速いし、訴訟においては、「自己責任」という考え方が強い。カリフォルニアでは「取引の公正さ」を重んじる陪審員が多いように感じる。
加えて、同じアメリカ国内であり英語を話しているとは言え、土地によって発音やアクセントの違いはもちろん、言い回しなども大きく違う。日本でいえば、東京と大阪のアクセントの違いで同じ文言でも雰囲気が変化するのと似たような感じだととらえてほしい。 つまり、トライアルが行われる場所、陪審員の顔ぶれに合わせて、より共感や同情を誘う効果的な言い回しを探る必要があるのだ。
このように毎回、トライアルが行われる土地や陪審員たちのバックグラウンドの特徴をつかむことから始めるため、「これさえできれば絶対に勝てる」という唯一無二な戦術などないのである。
だからこそ、我々は事前にどのようなトライアルになるかを予想するために模擬裁判を開く。敵を知らずして戦地に入り、やみくもに刀を振り回すなど、依頼人から見たら任せられない弁護士になり下がってしまう。模擬裁判は、武器を磨き備える場所なのだ。
模擬裁判では、立ち居振る舞い、服装、話し方の速度やその語彙の選び方、話の展開、証拠の見せ方、タイミングまで、トライアルの進行をあらゆる角度から検証し、実際のトライアルを自身の依頼人に有利に展開できるように徹底的にリハーサルをする。
アメリカでは、トライアルコンサルタントと言って、これらの訴訟に関するすべてをプロデュースする会社やプロフェッショナル集団が存在する。コンサルタントたちは、心理学者、俳優、経済学者など様々な立場から、トライアルの開かれる土地の人の価値観や伝統、人種やバックグラウンド、思考の傾向までを分析する。
さらに、模擬裁判中に電子掲示版を使って、陪審役が何を考えたなどの反応が瞬時に一目瞭然になるような仕掛けを用いる場合もある。
大きな裁判ではこうした指導を受けることもあるが、我々クインエマニュエルはコストを低く抑えるために独自の手法を用いている。それは、裁判が開かれる土地の人材派遣会社から、年齢や人種、性別などから陪審役を厳選し、あらゆるパターンを想定して模擬裁判を繰り返すことで、より現実に近いトライアルのリハーサルを重ねる。陪審員役のアンケート結果なども細部まで反映させ、勝訴の手ごたえをつかむのだ。
最近のトライアルでは、アニメーションやグラフなど視覚に訴える手法も高度化している。
たとえば、デポジションの際に、証拠としてとっておいたビデオを、尋問の際にタイミング良く再生すると、証言の食い違いを容易に説明できる。これも手元にあるバーコードにバーを当てるだけで即座に対応できるといった具合である。
また、我々が報酬として受け取る金額だけを、言葉で聞いたのでは「高額だ」という印象を与えてしまう場合もある。こういうときには、「報酬は裁判で勝ちえた金額の数パーセントである」という印象を与えるために、アニメーションを利用するのだ。
さらに、実際の裁判で重要になるのが、尋問の際に女性に話しかける態度や事務所の若いスタッフに話しかける態度。陪審員たちは、高そうなスーツを着ている弁護士や、若いスタッフに冷たい態度をとる弁護士に共感は持たない。自分たちの生活と近しい存在に共感し、同情する。あるベテラン弁護士は、まだトライアルに慣れていない若手の弁護士と戦うのが一番怖いと話していた。若手の弁護士の初々しさや熱心さは熟練の技よりも陪審員の共感を誘うというのだ。ベテランでさえも気の抜けない、法廷での一挙手一投足すべてが命取りになるのだと実感させられる言葉だった。
重ねて言うが、模擬裁判は原告側、被告側に立ち、双方の立場から想定される証拠や戦術を陪審員に「公平」に見せ合って、陪審員役がどう判断するかを探るのが目的だ。
ところが、いざ始めてみると本番さながらに展開されるがあまり模擬裁判であることを失念し、相手を打ち負かしたい、論破したいという情熱が沸々と湧いてきて、ついつい陪審員役そっちのけで戦いに挑んでしまっている時がある。
しかも、依頼人の目前で展開するため、依頼人からの信頼を勝ち得るために、対立側を演じる同僚弁護士よりも優秀であることを印象付けたいという気持ちにもなる。「負けず嫌い」な弁護士の性を満たさずにはいられない衝動に駆られるのだ。
トライアルで勝利を味わった時のような、清々しさやガッツポーズを抑え、「模擬裁判」での任務を遂行する時、我々は「模擬裁判」の目的は何であるかを何度も噛みしめる。
こうした模擬裁判でのパフォーマンスをみた依頼人から絶大な信頼を得ることもあれば、時には選手交代を言い渡されることもあるからだ。トライアルに勝つことも大事だが、己の「負けず嫌い」と戦うことも常に強いられているのが訴訟弁護士である(笑)