お客様にとってもっとも関心のある知財や独禁法・金融・労使関係などの最新の話題をお届けします。
御社の法務・経営戦略にお役立てください。
-
訴訟弁護士のあり方 ノーベル賞受賞者の洞察 (20/11/01)
ダニエル・カーネマン氏は著名な心理学者であり、経済学におけるノーベル賞受賞者でもある。カーネマン氏の明快かつ興味深い著書、Thinking, Fast and Slow (Farrar, Straus and Giroux 2011)で彼は、一般人から見た心理学上のある見解、人間の思考における経緯とあり方について語っている。それは心のプロセスにおいて —我々が考える思考の部分である — 慎重かつ意識的な思考とは、実際には断続的かつ不本意で、下位の参与者であるというものだ。この本はカーネマン氏の教えが意思決定や説得への適応に関連しているため、訴訟弁護士にとって価値のある必読書だと言える。
一体どのようにして心理学者が経済学の分野で受賞したのか。合理的経済意思決定 —特に物の価値を合理的に判断する能力—はミクロ経済理論の基本的過程であるが、カーネマン氏は人がそのような合理的判断を下さない、あるいは下せないと述べているのだ。無論、人は日常的に、そして定期的に物の価値を判断している。我々はそうした判断が合理的であると意図し、確信している。しかし、それらは明らかに、そして常にそのようではない。というのが経済学者の心理学なのだと言う。
人の非合理的思考や物の価値観自体は経済と比べて法律実務ではそれほどの脅威にはならないものの、説得の手段に影響するため絶対的な重要性を持つ。(Spoiler Alert:法の事実における論理的適用は努力しても成り立たない、ということだ)
A.カーネマン氏とバリュエーションについて
民事法は、特に原告の損害を正当に補償する額の推定に関心を寄せている。カーネマン氏は陪審員がどのようにして損害を評価するかについては直接言及していないものの、実際の価値とは無関係な要因によって人々がどのようにその価値を推定するかが影響をうける実験について説明している。
例えばカーネマン氏は読者に向けて二つの質問を投げかけている:(1)「ガンジーの他界時、彼は144歳以上かそれ以下であったか?」そして (2)「 ガンジー他界時の実年齢は?」
上記の144のようにランダムかつ桁違いの数字を導入することで、これに影響する回答を生成し、続く回答を固定させることができるというのだ。この示唆にはプライミング効果が見られる。例えば、あるグループにガンジー他界時に彼が35歳以上であったか、と聞いた場合、続けて同じグループに、実際ガンジーは何歳で他界したのか、と聞くと35に近い範囲で推定されたのだ。ガンジーが他界時に144歳以上か以下だったか、と聞かれた参加者は、ガンジーが他界時に35歳以上だったか否か、と聞かれた参加者よりも遥かに高年齢であったと回答している。こうした関連性の無い数字の導入による影響は、推定する側の人間にとって全く認識不可能なのである。
カーネマン氏は「運命の輪」型のホイールがランダムな数字を表示する別の実験を行った。このホイールには細工がされている。参加者のあるグループの前でホイールは10で止まり、参加者はその数字を書くように指示された。次のグループも同様に実験が行われたが、今度は10の代わりに65の数字で止まった。終了後、各グループは国連下の国の内、何パーセントがアフリカ諸国であるか、と質問された。10の数字で止まった参加者は平均で25%と答え、65の数字で止まった参加者はその約2倍である45%がアフリカ諸国であると答えた。運命の輪は完全に潜在意識下にありながら、非常に説得力のある、「価値」推定の要因であることが証明されたのだ。
運命の輪実験での参加者は、直感以外でホイールに対して比較考慮することのできない素人だった。彼らは訓練も受けておらず、また経験もなく、ただの提案に対して比較検討する重要な情報もなかった。しかし、カーネマン氏はこうした「穴」を埋める実験をさらに紹介している。この実験では経験豊富な不動産業者を対象にしている—彼らは職業柄、常に真剣に住宅価格を査定している人物だ。集められたグループで業者達は、自らが他者の結論や価格が「示唆した」偏ったものに影響されないと自信を持って報告している。しかし、この不動産業者等の結果は異なるものを示していた。
この実験で不動産業者等は、市場に出ている住宅の価値を判断するよう求められた。彼らは実際にその住宅へ出向き、販売概要や業種データ、表示価格、希望価格などが含まれた小冊子が与えられた。グループのうち半数は表示価格よりも遥かに高価な希望価格を見せられた。残り半数の業者達は各業者は表示価格よりもはるかに低価な希望価格を見せられている。次に、それぞれ自身の判断する住宅の適正な購入価格、及び、もし自身が当住宅を所有したと仮定した場合に最低幾らで売却するかを推定するよう求められた。
推定後、業者はそれぞれどの要因が彼らの判断に影響したかを尋ねられた。不動産業者等は希望価格を完全に無視し、適正に購入価格を査定したと自信げに答えたが、結果はその限りではなかった。希望価格には不動産業者が出した適正購入価格の計算に41%ものアンカリング効果が見られたのだ。業者等は希望価格を考慮しない、と言う自信満々な自己認識にも関わらず、そのアンカリング効果は同様の実験に参加した不動産業未経験であるビジネススクールの学生が出した48%よりたった7%ほど低いものであった。
売却者の希望価格が重要であることは重々承知しているものの、その重要性は我々の理解以上だった。と言うもの、これは売却者が単に価格を希望しているだけではなく、その価値を教示しているからである ―たとえ、この情報を無視するように訓練された人物にでさえ影響を与えているのだ。もちろん「希望」とは交渉において肝要なイントロダクション、あるいはクロージングもあるが、知覚価値への影響はさらに大きい。希望価格は何も住宅の仕上げを変更させたり、浴室の数を増やしたり、近隣地や心情、また願望を変えることはできない。これらは希望価格が効力をもたない価値の要素である―ただしその強い影響力から逃れられない事実は除く。もし注意を向ければ、無影響であるとの判断が間違っていることに「気付く」ことができるかもしれない。
我々はプロの不動産業者による市場価格の推定が単なる希望価格に影響されるということを目の当たりにした。では、同様に訓練された法律家による法的判断を下す際にも同じような効果が見られるのだろうか?この疑問は実際に経験豊富な裁判官による刑事判決という場面で試されている。カーネマン氏はある実験でドイツの裁判官に対し、同様の事実を持ち、同様の被告に対し同様に適用された法律を含み、かつ適正な判決を宣言するよう求められた同様の事件が渡されたケースを紹介している。判決宣言前に各裁判官は事実的に無意味である想定質問を投げかけられた。裁判官はそれぞれサイコロを投げ、その結果を紙に書くように指示され、さらに自身が下す予定の判決が、出たサイコロの目よりも大きい、あるいは小さいかを問われた。そこから裁判官は実際の判決の結果がどうであるかを問われた。サイコロには細工がしてあり、裁判官の半数が「ランダムに」3を振り、もう半数は「ランダムに」9を振った。細工されたサイコロで3を振った裁判官は被告を平均5ヶ月の刑に処した。9を振った裁判官は60%増の懲役刑 —5ヶ月ではなく平均8ヶ月—を課した。この結果は、裁判官の被告に対する判決方法における「食前食後」の判断の違いにまつわる格言を超越している。意味のないサイコロの目などの簡単な要因が、適正な刑罰の判断に影響するとはにわかに信じがたい。
カーネマン氏はこうした実験を通じて、不合理な考えや、心をよぎる連想は—そもそもそうした考えや連想が常に存在すると踏まえた上で — 気づかないうちに我々の合理的考えに多大な影響を及ぼしていると結論づけた。こうした人物とはすなわち我々訴訟弁護士の提訴先なのである。
これら実験は一体どの程度、法律の最も根本的な任務である原告へ与えるべき損害賠償の推定に洞察を与えるのだろうか?上記のように、この疑問についてカーネマン氏自身、積極的に考慮はしていない。無論、原告が損害賠償額の提示を希望している場合、裁判官が誇張であると判断するリスクはあるものの、より大きい額の提示が望ましい。被告はしばしば「欲深い原告」に対する抗弁に依拠している —これは、原告側から申し出られた値があまりに不合理であるため、部分的あるいは該当事件自体が不当かつ却下されるべきであるというものだ。しかしカーネマン氏の研究によれば「評価」または見積もりをする人物は高い数字がばかげている、誇張されている、無関係かつ誤ったものであることを知ることができることを示している。その数字が評価を要求されている人物が出す値に影響するという事実は、それがアンカーとして作用しているためである。損害賠償のアンカリングは直接的、または非直接的に行われる。例えば利益の損失におけるケースの場合、原告は利益の計算先である多大な収益を強調するべきだろう。こうした著しく高額な数字は裁判官が安心して著しく少ない損害金額(が、少なからず高額な)を与えるアンカーとなる可能性が高い。
これは原告が信頼性を気にかける必要がない、というわけではない。しかし、もし確立された、情緒的訴求のある賠償訴訟の場合、かつ、賠償問題において信頼性を築いているのであれば、損害に対して多額を提示することは信頼性の損失につながる可能性は低く、むしろより高額な賠償につながることもあり得る。
カーネマン氏はさらに、人々はもし反対意見に触れることが無ければ、自らの結論により一層自信を持つと報告している。被告らは度々、原告の損害補償額の代替案を提示することで威厳を持たせたくないとし、強い難色を示している。カーネマン氏はこれを非常に危険な戦略だ、と述べている。代替値の欠如は原告側の数字が正しいものであると裁判官に判断されかねない。これは分析的思考の厳格さを避けようとする我々の性質である。人間は分析的思考の認知的緊張から離れようとするのである。したがって、原告側としては裁判官が難しい分析を避ける機会を与えるべきではない。常に代替案を提供するべきである。できれば、簡単で理解のしやすいものが望ましいだろう。
B. 認知的努力の軽減について
価値推定におけるアンカリング効果の研究は、脳の思考プロセスが認知的努力を軽減させるカーネマン氏による分析の一種である。要するに、人の心は合理的思考を巡らせたがらないのだ ―常に簡単で馴染みのあり、手近かつ一般的な「速い」思考 ― がまさにカーネマン氏の著書タイトルのように 、心が努力や考慮を(この努力と考慮とはタイトルの「遅い」思考に該当する)最小限のみ適用することを表している。したがって、人が 難解な問題に対して論理を適用すべく努力するだろうと予期することは、特に他に簡単なプロセスがある場合、望ましくない。むしろ、自身にメリットとなる「論理的」または傍証されている結果を見出すよう、簡単なプロセスを与えて導く方法もある。こうしたプロセスには類似法、アナロジーや、日常的体験(または傍聴者が「日常」であると信じる経験 、カーネマン氏は多く見受けられる必ずしも正しくない事実上の信念についても語っている)。一般的原則として、自身で出来る認知的努力の軽減方法があれば役に立つだろう。
カーネマン氏が紹介する簡単な認知努力の軽減テクニックの一つとして物の理解を容易にする方法があるが、これは陪審コンサルタント周知のものである:例えばあるグラフィックにおいてキャラクターとその背景間のコントラストを最大化したいと仮定する。色を使用すれば、文字がかげりのある色合いよりも鮮やかな青、緑や黄色よりも鮮やかな赤の方が信用されやすい。これは単に、読みやすいからという理由である。もし信頼性、知性があると思われたい場合、難解な言語の使用はむしろ聞き手に多くを求めすぎるため、避けた方が良い。難解な文章もまた、書き手の知性が問われ、より仰々しく不誠実に見られてしまう。読み手や聞き手を手間取らせることは厳禁である。自身が伝えるべくメッセージを簡易化しつつ、より印象的にすることで、想起させやすくなる。アイデアを節や韻のようにまとめれば、より真実として受けられやすくなるだろう。米国における刑事弁護の年譜において最も印象的な弁論は、と聞かれればこう答えている。
「手袋が合わなければ、すなわち無罪にするべきである」
訴訟弁護士に最も関連のある発見は、人が難解な質問に対して簡単な回答で代替するよう求められている場合に潜在意識下にて認知的努力を軽減させることによって安心して判断できるようになり、さらにそれが難解な質問に対する機能的代替となる、という部分だろう。カーネマン氏はこれを「代替」質問と呼んでいる。人の心において一般的なツールであり、高学歴の人間でも言われずとも行ってしまう。
これは確率の判断を要求された場合に一番見受けられる現象だ。カーネマン氏によれば:我々は人がいかに確率に関する判断を、確率とは何かを深く知らずに行えるのか疑問に思ってきた。我々はおそらく人はこの不可能なタスクを何らかの方法で簡易化していると結論づけ、その真相を突き止めるべく動き出した。そこで得た答えとは確率を判断する際に人は何か他のものを判断し、それを確率における判断を行なったと信じているのではないか、というものであった。これは「遅い思考」が「速い思考」に場所を明け渡す現象を示している。人は思慮深い分析が必要とされる質問を避けるため、直ちに思い浮かぶ簡易的かつ関連する推測に基づいた答えに依拠するからである。
カーネマン氏は「リンダ問題」という例で、大学生が合理的分析ではなく直感に置換した問題について説明している。学生らはリンダという若い女性に関する情報を与えられた:彼女はシングルで、とても大胆かつ聡明である。学生である彼女は差別や社会正義問題について非常に関心を持っていた。ここで大学生らは次の二つの選択肢のうち、どちらがより真実に近いか?と質問された。(A)リンダは銀行家である、または(B)リンダは銀行家であり、また女性開放運動にも携わっている。
参加者のほとんどが選択肢Bを選んだ。この回答は論理と確率という面からすると間違っている。どちらの選択肢でもリンダは銀行家である。もし選択肢が同様であれば、これら選択肢が事実であるという確率もまた同様であるべきである。
しかし、選択肢Bは詳細を追記している ―それはリンダが女性解放運動にも携わっているという部分だ ― この詳細は選択肢BがAと比較して事実であるという確率を逆に下げることとなる。実際、確率について鍛錬されているスタンフォードビジネススクールの学生間においても、85%がリンダはフェミニストの銀行家であるという陳述がリンダは銀行家であるという陳述よりも可能性が高いと答えている。なぜだろうか?この疑問に答えるためにより簡単な質問(陳述Bがどの程度理にかなっているか)がより難解な質問(陳述Aと比較して陳述Bはどの程度可能性があるか)と置換された。
これは裁判時において、事実に対する法の難解な適用が求められる場合、裁判官の直感 —常識や先行経験、類似法など—に訴えかけるべきである。無論、可能であればより難解な質問に対して裁判官が判断を下しやすいよう、簡単な質問を最初から提示することが望ましい。一例として:一般的な人物は証人の誠実性や信頼性を判断することに比較的不安を抱いていない。特別な訓練や教育が必要とされるわけでもない。しかし、一般的な人物は高学歴の専門家による証言が必要とされる質問に対して回答をすることには不安を抱いてしまう。ではもし2人の対立する専門家が、異なる二つの結論について精密かつ複雑な分析を行い、陪審員の前で彼らが不安を感じない質問を投げかけたらどうなるか — 例えば、どの専門家がより率直であるか?どの専門家が信頼できるか?などといった、「複雑」な質問を「直感的」なものに置換することで、陪審員を自身が望ましい結果に導けるよう、簡単な経路を提示することができる。
要するに、人間の心における「速い思考」という性質を味方につけ、逆に妨げとなる際に認識するのである。
終わりに
カーネマン氏は思考について我々に多くのことを伝え、また、「遅い思考」が合理的考えにおける慎重な分析であり、またそれは大抵存在するものではなく、仮に可能だったとしても、簡単に「速い思考」に置き換えられてしまうことを証明した。民事訴訟弁護士自身が提訴できるのはこうした「人間」の心のみである:その心とは洞察や努力、記憶や人生さえも価格化する任務を負い ―そしてサイコロの目だけではなく、文字通りあらゆる全てに対する価値の判断が課されている。経済学者達はカーネマン氏の洞察力にノーベル賞を授与した。そのような心の存在を留意し、我々の心が許す限り言及していくことは、我々弁護士ができる最低限の行いである。
クイン・エマニュエル・アークハート・サリバン
外国法事務弁護士事務所
東京オフィス代表 ライアン・ゴールドスティン
この件につきましてのお問い合わせ先
マーケティング・ディレクター 外川智恵(とがわちえ)
chietogawa@quinnemanuel.com